2016年11月24日木曜日

めいわくガリバー旅行記

一時帰国をした時のことだ。駅前でガーナに学校を建設する団体が募金活動をしていた。
日本に住むガーナ人の代表者の話では、学校は彼の故郷に建設中とのことだった。
純粋な興味に加えて、実態を確かめたい気持ちが生じた。ぜひ訪ねたいと話すと連絡先を教えてくれた。

早々に行くつもりであったが、躊躇しているうちに日数が経過した。
訪問の機会を喪失しつつある中、活動は一向に軌道に乗らず、配属先は煮え切らない態度だった。宙ぶらりんな立場に置かれていることにも嫌気が差していた。日に日に任地から離れたい気持ちが高まって、出発を決めた。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
近頃はカメラを持ち出すことがめっきり少なくなった。
活動の写真ばかり撮っている。
こういう写真を撮るのは久々。

学校を行き先に選んだのは約束や興味からだけではなかった。
ガーナに来る前は子どもに関わる活動、それも多くの人を巻き込んだものができればと思っていた。
だが、任地で子どもからの嘲りを受けるたび、その意気込みはついえていった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
こんな少年ばかりであれば救われるのだが…


学校が日本からの寄付で成り立っていること、スタッフと事前に連絡を取った際の丁寧な応対から、ぞんざいな扱いを受けることはないと踏んでいた。
逃亡先としてうってつけだったが、最後の砦にも等しかった。
かつて抱いていた熱が呼び起こされる期待もあったが、何もつかむことができなければ、今後の活路は見いだせないと覚悟した。そんな懸念を抱きつつ、それをはるかに上回る希望に満ちていた。



町に到着した。
辺境の片田舎を想像していたので、ぼくの任地より栄えていたのが意外だった。
それでも学校の周辺には何もなく、町から歩けるような距離ではなかった。
施設は2階部分や電気設備などが未完成だったが、算数や字の練習、お遊戯などの授業が行われていた。
先生やスタッフは快く接してくれたが、子どもたちには囲まれて手足をつかまれる、いささか手荒な歓迎を受けた。

生徒数は100人を少し上回る位で、おおよその年齢でクラス分けされていた。就学に満たない子が大半で、下は2歳から上は10歳くらいのようだった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
お互いに好奇心と興味を持って対面

数日滞在すると、子どもの性格や行動の違いが見えて来る。
これまでいかにも子供らしい子を見てきたこともあって、無表情で何に対しても興味を示さないような子の存在が不思議だった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
気温は優に30℃を超える。
肌寒かったのか、おしゃれは我慢で暑くても着たい服をを着たかったのだろうか。

終業後、スクールバスで生徒の自宅付近まで送ってゆく。
大型のワゴン車が2台あったが一度では乗り切らず、全員を送り届けるまで学校を行き来した。

最後の便は2時間ほど待った頃に来た。ぼくもそれに同乗することにして、来るまでの間、数名を相手に折り紙を折った。他は座っている子もいれば、じゃれ合っている子もいた。生徒にとっては日課だとしても、ぼくが毎日これだけの時間を待つ立場であったら辛いだろうなと思われた。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child スクールバス school bus
バスが来てからもなかなか発車しない。
小さい子は自分で乗り込めないので、大人に手伝ってもらう上、20人以上が乗るので時間がかかるのだ。

 当初は校内のことや授業の手伝いをするつもりだったが、子どもの遊び相手が日課となった。

再訪があれば、その時に向けてのアイデアが浮かんだが、それがここでなら実現できる気がするのだ。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
バスが出発するまでのわずかな時間で勉強をする。
この子らはこの学校の中では年長の方だ。


「ドラえもん」で「めいわくガリバー」という話がある。
「ガリバー旅行記」を読んで感動したのび太が、小人の国に行くも全く歓迎されず、役に立つどころか迷惑をかけまくる。完全な空回りの挙句、逃げるように国を去る内容だ。

外国人の訪問は稀有な存在であり、子どもたちの学校生活に多少の変化を与えることができた自負はあった。
だが、行けば役に立てるという浅い思慮はのび太と変わらず、任地でも学校に行ってもめいわくガリバーだったのかもしれない。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
おさない子が多かったので、余計にガリバー感が増したのだよ。



帰る日、最後の訪問をした。
しばらく来ないこと、次に来た時、何人かの生徒は入れ替わっていることを思うと胸がつかえた。少しはペシミスティックなものになるかと淡い期待を寄せたが、子どもたちは元気にはしゃいでいた。

ガーナの子は嘘泣きも含めて本当にすぐ泣く。だが、頭をぶつけたり喧嘩をしたり怒られたりした時に泣くのであって、涙のベクトルが違った。この国で自らが望んだ結果を求めることは間違いのようだ。

これまでに異国で経験した別れを思い出してみても、子どもはみんな笑っていた。また明日も会えるかのように。
ぼくらは距離的、時間的、経済的にも、再会が簡単ではないと知るから、別れを重く受け止めるのだろう。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
別れる時も笑顔!

今回、学校のみならずいろいろな場所に寄った。人とのつながりをたどってそれがルートになった。

ガーナと日本を問わず連絡を取り合い、人を紹介された。隊員の配属先にお邪魔し、案内をしてもらった。家に泊めてもらい食事をご馳走になった。学校訪問にも付き合ってくれた。その後も多くの隊員と集まった。お酒もたくさん飲んだが、中に睡眠薬を盛られて眠っているうちに縛り付けられたガリバーのようなことは起きなかった。

旅の何気ない一片を大切にしまい、時に取り出せる生き方ができればと思う。
もろもろがおざなりで無神経になっているのを自覚するだけに、それをいつも心に留めておきたい。


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