2015年12月29日火曜日

ガーナのBraとWhy

ガーナでは用事のある側でも「ブラ(bra=英語でcome)」こっちに来いと手招きをする。
日本であったら自分で出向くべきだろうと思ってしまうのだけど、必ず呼ぶのだ。
これが国ごとの違いの一つなのだろう。

人伝いに「向こうで誰々が呼んでるぞ」と呼ばれたりすることも多い。
疲れていたり暑かったりすると、10mの距離でも往復するのが億劫な時がある。
その大抵が大した用事でないから余計に参ってしまう。

実際は面倒くさいなあと思いながら、表明上はいい顔をして体力、気力ともにガーナとガーナの人によって奪われている。

写真を撮る時は呼ぶことはしない
位置を変えるために動いてもらうことはあるけど
この写真を撮って以来、彼女を見かけたことはまだない

それ以上に困るのが、ガーナの人との会話の中に頻繁にWhy?が出てくることだ。
「なぜ?」と聞かれても答えようがないケースが多いからである。

ぼくは、これから数え切れないほどの「Why?」を感じて時にはそれを投げかけ、一方で、それを上回る相手からの「Why?」に責められながら活動していくはずだ。

任地に向かう途中で
何?何で?誰?といった表情。


Why?にまつわる出来事があった。

同僚となるカウンターパート(以下同僚Fと称す)と共にお葬式に参列した際に、彼にカメラを貸した。


式にはFの車で向かったのだが、車にはFの知人という女性(以下A女史と称す)も同乗していた。

式の最中ミラーレスのカメラを使っている若者がいるなあ、とのんきでいたらそれはぼくのカメラだった。

まずA女史がカメラを手にしているのは見ていたので、その若者がA女史からカメラを借りたのだろう。

例のお葬式にて
ガーナと日本のお葬式の一番の違いは、歌ったり踊ったりとにかく賑やかだということ
一説によると、故人を寂しくさせないためという



この若者は首都アクラに住む学生で、この地を訪れたのが初めてだと話す。
グラフィックデザインを学んでいて、写真にも興味があるようだった。
式に参加したのは故人の親戚の男性(以下Pと称す)と知り合いだからということだった。
そして、今晩はA女史の家に泊まると話していた。
A女史と、若者とはどういった関係なのだろうか。

この時点で、人同士の関係が全く飲み込めず、Why?にとどまらず、ぼくの頭の中では全ての疑問詞を並べても追いつかないほどの???がぐるぐる回っていたが、あえて問うことはしなかった。

帰り際に、若者にカメラを返してもらおうと催促した。
彼はデータをコピーしたいと言うので、メモリーカードを渡すとタクシーに乗って颯爽とその場を去った。
その瞬間またしても???と共に、すごく嫌な予感が胸をよぎった。

ぼくは若者の連絡先を聞いておかなかったので、メモリーカードを持ち逃げされるのではないかと疑ってしまったのだ。
しかし、彼がその気ならばメモリーカードどころかカメラごと持って式から逃げることができたはずだ。
それをしなかったのだからという、自分の考えが彼を信用するに至った。

メモリーカードの一枚などさしたる被害ではない。
だけれども、もし若者にその魂胆があったのならば、被害としてはあまりにうかつで、うかつさを認めたくなかった。
ただ、週明けには同僚Fにもデータを渡す約束をしていたこともあり、何としてもメモリーカードを取り返したかった。



式のクライマックス
棺桶を乗せた霊柩車をバンドの演奏とダンスで送り出す



次の日、若者を発見するか、連絡先をつかもうと朝から町を歩いて捜査を開始した。
早々に、以前宿泊していたゲストハウスの管理人とすれ違った。
ゲストハウスと故人宅はほど近いために、何かの手がかりが得られるかもしれなかった。

刑事の如く、管理人に若者とPの写真を見せると、Pとは面識があると話す。
一緒に故人宅を訪れ、Pの所在を尋ねると教会に出かけているとの情報を得た。

教会に着くとホームステイ先の息子がいたので、Pを呼んでもらった。

Pの話ではメモリーカードはA女史に渡っているはずだから、Fから渡されるよぅ。
とのことだった。

ぼくはツメが甘いかもしれないが、この時点で若者の連絡先を聞くことはしないで、捜査を打ち切った。

そして、月曜日に同僚Fからメモリーカードが無事戻った、という次第である。


しかし、本題はでそのメモリーカードからはデータが消えていた。
多分、若者はコピーとカットを間違えてメモリーカード内のデータを消去してしまったのだろう。
データを渡す約束をしていたFに話すと「Why?」とかなり不機嫌そうだった。

データを消したのはその若者なのだから、ぼくでは答えようがない。

その夜、データリカバリーソフトを使うとあっけなくデータは復旧し、データを同僚Fに渡すことができた。

人は一体いつから他人を疑うようになるのだろう


ぼくはガーナに来てから、必要以上の警戒と緊張の中で生活をしてきた。
それにこしたことはないけど、若者を疑った自分をいたく恥じたことで、時には人を疑わず信用することも大事なのではないかと感じている。

なあt、普段からいろいろな人と風通しを良くしておくことが、自分の身を守ったり助けられるということも実感した。

ガーナはそれができる国なのかもしれない。

この前も、街中でサングラスを落としたのに気付かずにいると、女の人が拾って渡してくれたことがあった。


その塩梅はすごく難しい。
大丈夫どうかの境界線は現地に溶け込むことで、自ら学び取るしかないのかと考えている。


ガーナではよく子供がタイヤを転がして遊んでいる
日本の子どもも車輪のついた乗り物が好きだから、それと一緒なのだろう
だけども、飽きもせずとても楽しそうにコロコロとタイヤを転がしている姿はとても微笑ましい


これも遊び道具だと思う
他には子どもが、細長い棒を持って歩いていることが多い
先生がムチを持っている影響か、わらしべ長者を狙っているのか、何か武器になりそうなものを手にする習性なのだとうか
でも、日本の子どもでも棒を拾って持っていることがあるから、ガーナならではというものではない

余談になるけど今朝、Fに日本語のあいさつを教えた際に「Why?」→「なんで」も付け加えておいた。





2015年11月27日金曜日

人から必要とされること

職場に赴任して2週間余りが過ぎた。
お恥ずかしい話、実のところこの間ほとんど仕事をしておらず、職場に行かない日も多かった。
新居へは1週間前にようやく移ることができたのだが、その間は郡役所のゲストハウスでのうのうと暮らしていた。

何をしていたかというと、ただ街を歩いて、人と話して、子どもと遊んで、ひたすら写真を撮っていた。


少しおとなしくて
そんな子が一人でいて
自分から撮ってとはいわないけど
撮っていい?って聞くと
う~ん、まあいいかなっていう位が一番きれいに撮れると思う

任地に赴任する前にガーナ隊員と、スタッフの前で決意表明をした。
「~この日本人、ふらふらして写真ばかり撮っていると思われるかもしれませんが~」
といささか冗談めかして話したのだが、早くもその決意の枕となる部分だけは皮肉なほど見事に実行されてしまった。


三年寝太郎は寝ている間にもずっと考え続け、起きるや否や目まぐるしい活躍をしている。
ぼくは一見遊びほうけているように見えても、街を歩きながらもいろいろ観察したり、地元の人との交流を深めたりしている。
今は行動への蓄積期間のつもりで過ごしているが、寝ても覚めても大した活躍はできないかもしれない。
その時、どの面を下げて日本に帰ればいいのか。
(*´σー`)エヘヘでは済まされないだろう。

任地で最初の3か月間は様子を見るようにと言われる。
それでも、最初からダッシュをきかせている人がいる。
他人と比較するものではないが、刺激を受ける反面、焦燥を感じるのも事実だ。

任地に到着後1泊だけしたCaptain Williams Hotel
今のぼくは毛髪を失ってしまい、見るも無残な風貌に成り下がった


職場において、最初の仕事らしい仕事は職場内の機械の写真を撮ることだった。
メンテナンスが必要なために現状の写真が必要なのだという。
補足までに、ぼくの職場は、郡役所の管轄下にあるRural Technology Facility(RTF)というところである。
業務内容は金属の溶接などの加工を施してオーブンや脱穀機を作成したり、そういった技術者を養成するための研修を行っている。

最初に撮った写真を見て、「撮影した機械以外のものが入っている。こんなんじゃ使えない。撮り直して来い!」
実際はこんな厳しく言われたわけではない。
それにしても機械の裏側には使うかどうかわからないものが置いてあったり、機械同士の間隔が狭く、隣の機械がどうしても映り込んでしまう。

機械の位置は移動できないが、まだまだ工場内に余計なものがあるように思える。
ぼくの業務内容の一つに、職場内の5Sを進めるというものがある。
最初は職場を訪れた際に、予想以上に片付いている印象を受けたがまだまだ改善の余地はありそうだ。

撮り直してみたが、どうしても不必要なものが入った写真は、後加工で何とか消すことができた。
かなり時間がかかったが、カウンターパートには満足してもらったようなので面目躍如と言ったところだろうか。

本当は右隣に別の機械が置いてあった
修正するのに相当な時間がかかってしまった

新居は目の前に小中が併設された学校が位置しており、登下校中の生徒たちが呼びに来たり包囲されたりと、楽しいのだけど結構劣悪な環境下におかれている。

子どもとの交流にも興味があったので、その環境を良い方向へと活かすべく、学校を訪問して下見をさせてもらった。
校庭に入ると大勢の子どもたちにが騒ぎ出し、もみくちゃにされたので、いやな予感がしつつも、翌日に改めて授業を見学させてもらうことにした。

誠にいやな予感を感じさせた一枚
カメラを持っているから余計に子どもが集まってくる

そして、翌日。
予感は見事に的中した。

小学校でいう低学年のクラスから見学をしたのだが、教室に入ると一瞬にして混乱を巻き起こし、授業を崩壊させてしまった。

「設備は整っていなくても、子どもたちは真摯に授業に取り組んでいます。勉強ができる喜びと感謝の気持ちをかみしめながら・・・」
といった絵面を写真に収めようという、いやらしいたくらみはもろくも崩壊した。

真面目に勉強をしている子もいる

午後の体育の時間も似たようなものだった。
先生は、仕方ないなという態度だった。

学校のオーナーという女性に
「今のぼくは目立ちすぎます、日を改めてまた来ます。その時には生徒たちのニーズが探れるかもしれません。ぼくが何をしたら良いかもはっきりすると思います。」
ともっともらしい言葉を残して、学校を後にした。

その日の夕方ぼくは海に出かけた
一人釣りをする少年
しっかりと大地に根を張って生きている
人の少ない海と物静かな少年にホッとさせられた

現地の人の役に立つどことか、これでは迷惑をかけただけである。
しかし、子どもたちからはまた学校に来てくれと言われる。
今日も、道を歩いていると中学生の女の子に声をかけられて次はいつ来るのと聞かれたので、生徒には喜んでもらえたようだ。

子どもたちが単純に面白がってくれて、学校生活の中に少しでも刺激与えることができたとすれば、行った甲斐はある。
訪問が回数を重ねて生徒の中でも日常の一環となった時に本当の貢献ができるのかもしれない。
その位、時間がかかることだとも思う。

はしゃがずさわがず、まっすぐな瞳を向けてくれる子も多い



今週末は職場関係の知人の結婚式に参加することになった。
カウンターパートからは、カメラを持ってくるように言われた。

またしても、いやな予感がするのだけど、職場の人たちも、街の人々も、子どもたちも、必要とされているのはぼくではなく、ぼくのカメラなのではないだろうか。













2015年11月14日土曜日

小さな町の小さな事件

任地ハーフアッシニに戻ってきた。

ホームステイを終えて首都アクラに戻ってからも、早く任地に戻りたいという気持ちだった。

人同士の距離が近く、歩いていると誰かに声をかけられる。
「どこへ行くんだ?」「散歩・・・」
こちらでは、目的もなくただ歩くという習慣がないのだろうか。

まだ、ぼくが異文化に対しての好奇心をもっているからかもしれない。
それを失ったとき、必要最低限以外は出歩かないようになってしまうのだろうか。

ハーフアッシニに戻ると早々、カウンターパートが宿を訪ねてきた。
何を言っているかよく聞き取れなかった。

クサいけど行って見てみるか?写真を撮るか?でもクサいぞ。

カウンターパートのフランシスさんは、やたらとクサいを強調した。
それでも、見ごたえのあるものらしい。
ぼくは、スモーキーマウンテンのようなゴミ山が近くにあって、そんなところを紹介してくれるものと勝手に想像した。

ところが、連れられて行った先は海岸で、それは見事な鯨の死骸が打ち上げられていた。ホゲー!!
立派な鯨にも驚いたが、自分の英語力のなさにも驚いた。

死後数日した鯨の死骸
打ち上がった直後の画像はは、もっと青々、黒々していていた


鯨の周りには子どもたちが集まっていて、くせえくせえと喜びながら駆け回っている。
子どもが汚物をみて喜んだり、クサいとわかっていて嗅いだりするのは世界共通だということを学んだ。
こどもたちはぼくを見つけると、くせえくせえ、いや、ワーワーと騒いだ。

鯨の死骸と、生きているか死んでいるかわからない東洋人とどちらが子供の興味をひいたかは分からない。
だけど、カメラを持っていたのでその時だけは、死んだ鯨よりは注目されたかもしれない。


この鯨の利用方法をカウンターパートに尋ねられた。
正直「食う」以外のアイデアは思いつかなかった。
しかし、死後数日経過し、食べられそうな状態ではなかった。

それと、サメとクジラの違いについても尋ねられた。
大人数人に同じ質問をされたのには驚いた。

そして、次の日の朝、鯨は3隻の船にけん引されて海に葬り去られたそうな・・・

数日後、打ち上がったばかりの鯨の動画を見せてもらった。
子どもたちは鯨の背中に乗ったりして楽しそうだった。
その場に居合わせたらぼくも乗っていただろう、大人げなく。

鯨の周りに集まる子ども?
人間に襲い掛かるゾンビ?
このようなグダグダ写真にならないためには?
だれか、知っていたら教えてください




この町には、一人のイギリス人が住んでいる。
いろいろ話をしているうちに、例の鯨のことが話題に出た。


しかし、鯨の話をヨーロッパの人と話すのはデリケートな気がしたので、たいていの日本人は鯨と関わらないことが多いですよぅ。だから、ああいう鯨を見てもどうしたらいいかわからないんですよぅ。

と答えておいた。

元・探偵は見たシリーズ
事件現場の一枚から切り出した
ホームステイ先の女の子が鼻をつまみながら逃走している
クサいのわかってるんんだから、近づかなければいいのに



この町に鯨が打ち上がったのは初めてのことなのだそうだが、今年に入ってからガーナの海岸で数件同じような事件が勃発しているそうだ。

真相は不明だが、どうやら海底の油田を発掘するあまり、鯨の生態を脅かしていることも疑われている。

首都アクラのマコラマーケットにて
果物を売る女性
普通に人の写真が撮れるとホッとする




ぼくは、どちらかといえば捕鯨に賛成という考えという程度なのだが、それよりも、意固地になって捕鯨を阻止や妨害に走る方が問題だと考えている。

食を異文化の目線から横やりを入れることがナンセンスさえ思えるほど、各国各人の食への拘束は強く、それを捻じ曲げるべきでないという考えもある。
もちろん、絶対的な飢餓や健康上の問題は別とするが。

捕鯨が取り上げられ議論され、ニュースになるひずみが、このような偏見につながるのかもしれない。

そして、もし、このような形で犠牲となった鯨がいれば、やはりそれは食べても良いし、その知恵はあった方が良いと思った。


以上、ガーナよりハセガワがお伝えしました。












2015年11月7日土曜日

青年海外協力隊の応募書類の書き方~三度目の正直~品質管理編~合格への道~その3

2度の連続の不合格を体験してわかったことは、ぼくの能力と経験、そして当時
ついていた仕事では青年海外協力隊になることが難しいということだった。

青年海外協力隊に合格しないことにはぼくの人生の先が見えないし、なれない
まま年を取った時の後悔が見えて怖かった。

ぼくは、26年度の秋募集に全てを賭け、赤十字の救急法や、ファシリテーション
の講座に参加した。

このまま仕事を続けるよりも、短い期間でも新しいことをはじめた方が、合格へ
近づけると思い、10月からパソコンの学校に3か月間通った。


当時はPCインストラクターで受験するつもりだった。

しかし、要請が発表されると「品質管理」という要請があり、「経営管理」という職
種でも自分のできそうな要請が見つかった。今までの苦労は何だったんだと憤り
を感じつつも、正にラストチャンスにふさわしいと自らをなだめた。

PCインストラクターの中にも興味深い要請があったものの、付け焼刃的な知識し

かないうえに、指導経験の点を突かれたら二の舞になると判断し、上記2職から
選択することに決めた。


異なる職種をまたいで受験することはできない。

いろいろな人にも相談をしたのだが、正直なところこの2つは活動内容がかなり
近く、どうにも決めかねる。

「品質管理」の方が品質管理課に所属していたぼくには響きが良かったが、
要請が一件しかなく、応募者が多数いたらと考えると怖かった。

一方、経営管理は要請が6件あり、あわよくば他の要請でもという甘い期待もで

きた。

悩みに悩んだ結果、針の穴を通すような想いで品質管理で応募することに決め
た。
英語の書き取りをしている女の子
I am reading a book.
それを見て相当な安堵を覚えた
ぼくの英語力は現地の中学生になるか、ならないか程度のレベル















                                 

1.以下について、ご自身の考えを記述してください

(1)ボランティア活動に参加する動機 抱負について記述して下さい

海外旅行で現地の人たちに恩や情を受けて、今でも交流が続いている相手もい
ます。その経験を通し、途上国と人々に興味を持つようになりました。人生の豊
かさが出会いの数で決まると云われるように、今まで海外で得たものはかけが
いがありません。一方、私が両親や周囲に支えられて育って、大学まで卒業で
きたこと、外国に行けることが、いかに恵まれた環境であるかも感じました。いつ
しかそれを還元することと、途上国の人々に恩返しがしたいという気持ちが芽生
えました。それには、私が現地の住民となって地域や人々の抱える問題に一緒
に取り組み、信頼関係を築くことが、一番のお礼になるとの思いで活動に参加し
たいと考えました。


2)ご自身が考えるボランティア活動の意義 目的を記述してください

私自身が地域に貢献する充実感を得られ、地域の方々が住んでよかったと思っ
てもらえればとの考えで、今もボランティア活動に携わっています。日常で触れ
合う機会が稀な年代や背景の方々と、諸問題や考えを話し合い、日常的な会話
からも自らの世界観を広げることができ、お互いに学び、成長ができます。成果
を出すだけでなく、過程を大切にし、活動終了後も関わった人と機関とのつなが
りが続くことも意義だと考えます。そして、活動内容やボランティアそのものが被
支援側に波及し、次は支援者になるなどの活性と循環が住みよい社会の形成
の助けとなります。その気持ちを持ってより多くの人が実践していくことが目的だ
と考えます。


2.選択した職種に関して、次の(1)~(4)の項目について具体的に記述してく
ださい。


(1)この職種を選択した理由


実務経験が発揮できることが最大の理由です。外国から来た多くの人が、日の
技術の高さ、品質に驚きます。そして、ルールを守ること、5Sと改善を祖国に広
めたいと話す人もいます。派遣国のガーナは、現在では作る部分に重き置かれ
ていると思いますが御機構で品質・生産性向上プロジェクトを進めているように、
品質面にも眼が向けられ始めています。生産の拡大や輸出の際、品質は一層
重要視されます。その時期だからこそ、日本の製造業を支えた考えや環境を伝
る醍醐味があります。また地域に密着し、業務を越えた人々との交流もしたい
ので、都会でない場所での活動が理想です。よって同職種と要請は私にうって
つけだと考えます。

(2)この職種に対するご自身の経験実務等、技術適合性セールスポイントを具
体的に挙げ記述して下さい。その際、ご自身の選んだ要請内容に対しての技術
適合性についても触れてください

機械部品の金属加工を主とする工場で、品質管理の仕事に9年半就いていまし
た。一級技能士取得や、何度も社外不良流出を食い止めるなどの実績が評価
を受けてきました。それは検査技術の他、作業環境を整え、現状に満足せず些
細な工夫への試みも理由の一つでした。小さい工場での勤務経験は、活動対象
となる企業と環境や職種が近いため、問題箇所も発見しやすく、改善の提案や
処置が取れると思います。また、働く人の気持ちや立場を理解し、親身になって
接することもできるはずです。改善の基本は整理、整頓の2Sと清掃を加えた3
Sです。必要か不必要なものかを選別し、最低限使用するものを周囲に置きま
た。製品に傷をつけないように机の上にゴムシートを被せたり、作業灯の位置を
調節するための治具を作成したりもしました。既製のパソコン台に加工を施し、
高さの調節をした時など、他の社員への相談や協力を得たものもあります。実
施した改善の多くは、社内にあるものを利用し、加工するなど、お金をかけませ
んでした。要請も予算は十分ではないようですので、アイデアや経験を駆使し、
お金をかけない活動を継承します。また、清掃活動にも率先して取り組み、棚の
下や機械の裏側など、目につきにくい箇所こそ綺麗にしていました。そこで、ス
ペースの無駄や、装置の水漏れや異音など、社内を細かく見て回ることと同様
の効果を得ました。勤務先は私が入社後に新社屋に移転し、ISO9001及び1
4001を取得する変革期にありました。その過程で、場所やものへの表示と識
別、環境への配慮がなされました。任地でも、地球への影響を考慮しながら、職
場の環境を改善し無駄を減らし、生産性や品質の安定を図ります。そして、対象
者の手による利益と収入の向上を目指します。過去に調査、取材の仕事の経験
もあります。企業や個人宅を訪ね、話を聞いたり、自分で調べたりした内容を報
告書にしていました。未知の地域での飛び込みも多ありました。物怖じせずうま
く話を聞きだそうという姿勢で、話をして下さった方に感謝を忘れませんでした。
観察眼や洞察力、内容の整理と物事を客観視する力が養われており、企業の
巡回訪問の際にはその経験を役立てることができます。


(3)この職種に携わる際に想定されるご自身の弱点を記述してください

ークショップ主催の経験がありません。しかし、実務で技術の指導や、ミーティ
ングの司会や発表は行っていましたのでその経験を応用します。また、「日本フ
ァシリテーション協会」の「ファシリテーション基礎講座」で、会議などのファシリ
テーターの方法や役目を学びました。更に「ソムニード」の主催する「対話型フ
ァシリテーション講座基礎編」では、話す方法と聞き方を学び、「答えやすい質問
で、話の聞き方がうまい」と講師の先生から評価を頂きました。


(4)自己PR(希望した職種に関係する経験以外で特筆すべき経験を記述してく
ださい)

健康管理に気を遣い大病、大怪我、入院の経験がなく、永久歯に生え変わって
から虫歯になったことがありません。大学では哲学と宗教を学び、人の考えの多
様性や、宗教、文化に対して理解があります。現在は職業訓練でパソコンを学
び資料作成や、掲示物、発表に役立てられます。趣味の写真では作業前と後の
記録など実務の他、現地の方々を撮影し写真をプレゼントします。オフロードの
単車を運転していたので、要請にも対応します。日本でのボランティア経験を活
かし、日本語を教え、子ども達の遊び相手にもなりたいです。また職種以外の開
発学やワークショップの本も読んでいます。


3帰国ボランティアの体験談や報告書等で心に残るエピソードや、ご自身が実際
の活動に取り入れたいと思うアイデアなどを記述して下さい

言語、人々の気質、考え、文化の相違から考えが受け入れられず苦労したと聞
きます。相手国の価値観を尊重し、受け入れることから始めます。活動報告書を
コピーし、現地に持参することを薦められました。それを参考に現地で実現可能
な適正技術を伝えます。また、ホスト家庭や地域の人々との親睦を深めます。実
務以外でも皆が参加でき、日本や文化を紹介する行事を開催したいです。それ
によって現地の人が日本への関心を持ち、異国への目線が生ずることを期待し
ます。


4実際に派遣された場合どのようなボランティア活動を行うのか活動内容、日常
生活を含めて具体的に記述して下さい

活動が現地の人によって継続されることを狙い、参加者の意識が向上し気づき
や自発性が育つような活動を行います。日本での経験や技術、考えが通用しな
いことも多く、活動は現地の人々の協力なしではあり得ません。また主役は彼ら
で、私はそれを後押しする立場です。私が全て指示を出し作業を行うのではな
、本当に必要なものは彼ら自身が見つけられるような行動を促します。三現主
義で現場を頻繁に訪れるように努めます。それによって配属先の同僚や、対象
者、従業員とのコミュニケーションも図ります。役所と企業間や地域の連帯感を
高めるために会合を開き情報交換を行います。


5帰国後、参加経験をどのように生かしたいか、記述して下さい

海外と関わっていける企業へ就職し、品質管理の仕事に就くことが理想です。
派遣先での活動と帰国後の進路とのズレが少なければ、参加経験を活かすチ
ャンスが増えます。協力隊で得た経験と能力を活かして、人と仕事を管理する
ポジションを目指します。また、在日外国籍の方々の支援にも興味があります。
私が異文化であった経験から、マイノリティにとって暮らしやすい社会の構築の
ための活動をしたいです。更に、体験談や現地で撮影した写真を披露する機会
を得て、多くの人に途上国への関心を持ってもらい、ボランティアや、海外に行く
こと、人と触れ合う素晴らしさを伝えます。協力隊に応募するにあたり既に多くの
方の協力を頂いたので、今後は私が隊員の輩出に一役買うことができればと思
います。
わけもなく海が見たくなる
でも、一人もの思いに耽る余裕はない
気が付くと子供に囲まれている
土地に根を張って生活している人の姿は美しい


















品質管理には魔の「職種別回答」というものがなく、要望調査書に専念できたの
で、今までのような苦労はなかった。
自分が実務で携わってきたことを(正直、かなり盛っているが)いろいろと思い出しながら書くことができた。
ボランティア活動も板につき、そこで学んだこと、出会った人との経験も大いに役だった。1年間の間、努力してきたことが青年海外協力隊員としての肉付きとなったのだとも感じた。
今までいきり立っていた部分を取って、柔らかく素直な感じの文章を心がけた。
よほど、応募者が殺到しない限り、1次試験は通過する自信があったので、変に刺激的なことを書く必要はないと思ったからだ。

職種に関して近い人がいなかったので、シニアの経営管理の人に活動内容を聞
いたり、説明会で知り合ったOVの人に文章を見てもらったりした。


品質管理は1件の要請に対し、応募者はぼく1人しかいなかった。
余談であるが、経営管理は6件の要請に対して10人の応募があった。
最後の賭けに勝ったような気分だった。


書類で落とされることはまずないと、たかをくくっていた。
それでも、さすがに発表の時は緊張したが、予想通り1次試験は通過した。


そして、面接。

午前中から技術面接だった。
品質管理には専門の面接官がおらず、経営管理の受験者の後にいかにも博士といった感じの面接官によって行われた。
牛飼いの男
ただゴミを集めて燃やすだけの集積所
もっとヒリヒリと感情に訴えるような写真が撮りたい



















志望動機
職種
退職理由
実務内容については、少し深く聞かれ、品質保証と品質管理の違いについて若干の指摘を受けた。
それでもぼくがH社関係の仕事に関わっていたこと、10年近くの実務経験から、「大丈夫でしょう。」との答えを貰った。

午後は、人物面接で、これは何故か栄養士と一緒だった。

志望動機
この経歴でどうして3回も受験することになったのか?(今まで、自分に適した要請がなかったから)
品質管理の良い部分
日本と任地では状況がことなることが多々あるが、そこはどのような考え、行動で乗り越えるか
ストレス解消法
帰国後の進路

などを尋ねられた
面接官からも相当熱が入っていますねと言われたり、最後は頑張ってください、とまで言われたので「ああ、もうこりゃ受かったな。」と帰りは半笑いだった。

緊張は準備不足、自信のなさから生じると言われる。
個人的な性格もあるので全てがそうだとは思わないが、自分でも驚くくらいに落ち着いてしっかり自分の考え、経験、希望を答えることができた。

まれに挙がった1つの要請に対して応募者が1人であったことも幸いしていたと思う。
面接自体も、人を絞るための面接でなくて、基本的に合格を前提として一応確認しておきます。といった印象を受けた。


と言いつつも健康面で心配があった。
ぼくはちょっとした持病がある上に、相当痩せている。
極度のやせは合格できないとの噂を聞いていた。
面接日も体重を測らされて、そこでひっかかるのではと最後まで気が気ではなかった。
世界は僕の手の中に
JICAの広報の写真に使えるのではないだろうか















そして、発表の日、PCで自分の合格を確認した。

30
代最後の人生を賭けた挑戦が終わった。
ぼくは、ここまであまりに苦労しすぎて、出すものを出し切って、そこで満足してしまった。

今まで必死で勉強に打ち込んできた受験生が、大学生になった途端に全く勉強
しなくなる現象に近いものかもしれない。

だけど、この浪人期間はぼくにとって実際の活動となる幹のようなものを大きく
育ることができたと思う。

何かを訴えるような強い目をした女の子
おとなしくても写真を撮られることは好きなようだ
















遠回りになったけど大切な時間になったはずだ。
これからの2年間、壁に当たったりモチベーションが下がることもあるはずだ。だけど、様々な理由で協力隊に参加できなかった人や、参加できる年齢ギリギリの試験で不合格となり協力隊への夢がついえた人も知っている。そんな人たちの存在を想うと、簡単に弱音や愚痴を吐くことはできない。

そんな中、ぼくは本当に恵まれている。

その思いで、つらい訓練を乗り越えたし、これからもそうしてゆくつもりだ


彼女も意外に撮られることが好きだった

2015年11月5日木曜日

青年海外協力隊の応募書類を振り返って~コミュニティ開発編~合格への道~その2

25年度秋募集の2次合格発表が2月に行われ、4月から26年度春募集が始まった。

説明会にも何回も出かけ、都道府県の協力隊を育てる会というのにも参加した。
そこでいろいろな人から話を聞いたのだが、コミュニティ開発を避けるように進言した人がいた。
その人曰く、コミュニティ開発は協力隊の中でも花形だ。そこで選ばれるのは若くてきれいな女性で、そういう子がアフリカで孤立奮闘している姿が、協力隊の格好の宣伝材料となる。

そう言われたところで、既に応募書類も進めていた上に、他に合格できそうな職種も見当たらなかった。

前回はコミュニティ開発か青少年活動で迷っていた。
青少年活動で不合格になったこともあり、社会人経験が活かせるのではないかと考え、コミュニティ開発で応募することに決めた。



※写真は内容と関係ありません
今回の写真もラオスから
ドライブインにいた女の子
ラオスでは多くの子が家の手伝いをしたり、お使いに行ったり、物を売っていたりする



1.以下について、ご自身の考えを記述してください

(1)ボランティア活動に参加する動機 抱負について記述してください

渡航を重ねる度、途上国と人々に惹かれていった。多くの人が笑顔と親切で受け入れてくれ、現地でしばしの交流を楽しみ、帰国後は文通と昨今はSNSでも交流が続いた。次第に、自身の存在価値と、かけがいのないものをもたらせてくれた人々に感謝しながら、今まで出会った人達のみならず、世界規模で人々に恩返しをしたい想いが増していった。草の根の交流を、自らの手で築いた自負もある。途上国の歴史や文化を尊重し、住民として地域に根を下ろし、近隣や人々が抱える問題に真摯な気持ちで向き合い尽力する。現地の人々と一緒に汗を流し知恵を絞り、楽しいこと辛いことを分かち合い、深い長い関係を築けるような活動をして行く。私が積極的に活動する姿を見てもらうことで、人々の気持ちを奮い立たせ、自発や自立を促す。その為に、今まで培ってきた、経験や知識や能力そして情熱の全てを還元する。それこそが全てへの恩返しになるのではないか。協力隊の応募への年齢制限も近づいていることもあり、躊躇よりも新たな道を切り拓くことへの意欲と希望を大きく抱いている。


(2)ご自身が考えるボランティア活動の意義 目的を記述してください

思い出を共有できればと、旅先で人々の写真を撮影、その場で現像し、日本語のサインを入れてプレゼントしてきた。そのやり取りは相手も面白がってくれ、私は深い充実感と満足感を覚えた。現在は、日本語と学校の勉強を指導する2つのボランティアに参加している。普段の生活では接点のない人々と交りながら、資格も経験もない分、自分に何ができるかを考えている。ニーズに応えられるよう、教えて学んでゆくその活動を楽しんでいる。ボランティアの意義は、利益や損得でなく、相手のことを考え行動し、誰もが人を喜ばす存在になり得ること。自身が必要とされることを感じながら、人の喜びを自分の喜びにつなげられる部分にある。目的は、人同士の関わりを大切に、上からの立場でなく友達や知人の感覚で人や世の役に立つ。そして、それを受けた側に何かできることをしたい気持が生じ、行いが循環すれば世の中がきっと良くなるはず。それを皆が感じて実践してゆくことにある。


2.選択した職種に関して、次の(1)~(4)の項目について具体的に記述してください。

(1)この職種を選択した理由

社会経験をベースに、学生時の専攻、実務、ボランティア、旅行や趣味に至るまで半生を総括し、最も貢献できる職種と考えた。社会年数と年齢を重ねた分、人と接したりの人生経験や考えが役立つ機会が多いはず。決まった内容だけでなく、幅広い活動を行える応用力がある。人と人の間に入り、個人や機関を繋ぐパイプの役割も務めることができる。モットーは、地域の一員として老若男女多くの人と関わる。無駄に見える活動であっても、地域と人々の為になると考え、そして、いつか実を結ぶことを信じてチャレンジを続ける。皆で活動を楽しみ、お互いの心に大きなものを残せる二年間と、人の心に残る隊員を目指す。自身の人生においても、最高の期間にできるよう、悔いを残さず全力で取り組む。その理想とする形態で活動できるのが、コミュニティ開発だと考える。尚、希望は現職を中心に、適性と興味の中から選んでいるが、決定した国と要請を問わず参加する。


(2)この職種に対するご自身の経験実務等、技術適合性セールスポイントを具体的に挙げ記述して下さい。その際、ご自身の選んだ要請内容に対しての技術適合性についても触れてください

製造業にて機械部品の検査が主な業務。「5S」(整理、整頓、清掃、清潔、躾)と「改善」の概念は殆どの要請に活かせる。状況により「3S」(整理整頓清掃)から始める。机の上や書類の整理、作業台の高さの見直し、コンピューターの配線、共有のツールや備品などの整理整頓を行うだけでも、仕事の能率を上げることができる。検査業務では不具合、即ちイレギュラーが常で、トラブルとその対処に慣れており、業務内のPDCAサイクルは他の場合へ応用可。納期厳守が殆どの為、作業への集中力、緊張感、突発事項への臨機応変な対応、仕事への責任感も備わっている。径0.2mmの穴にピンを通し金属バリの確認を行う等、細かい作業は得意で目も良く手を動かすのも早い方である。袋や箱詰め包装に関しても、早く綺麗に、無駄が少なく行える。管理業務の経験もあり、他部署や取引先との連絡や業務調整を行う。WORD、EXCELを中心に業務でのパソコン操作も支障なく行える上、一般的な業務処理能力も有している。現勤務先はアクセサリーの製造販売も手がけ、第一希望のコロンビアでの一村一品運動では、品質の向上と安定により、高付加価値化と顧客の信頼に向けた活動ができる。前職では調査、取材に従事。未知の地域で、初対面の一般人の方に飛び込みで話を聞く経験が多かったので、物怖じせず現地の方々から話を聞きだす姿勢とその能力。協力隊参加にあたり、聞き取りや会議などの為にファシリテーションを勉強中。人物や事項を客観視し見極める必要性があったので、そこでの観察眼や洞察力を日常の人物観察に活かし、不要な人間関係のトラブルの回避、人事の采配等に役立てる。並びに、常に想定外の事項の発生が念頭にあり、先々を予測、行動を決断する必要にも迫られた。現地では危険を察知する力、とっさの判断が求められる事態が多発するはず。過去の経験を教訓に、ハプニングに臆することなく冷静かつ慎重な判断を下し、適切な処置をとりたい。また地方の歴史や企業等の調査も多く、ネット全盛の現代でも、人の生の声や文献、郷土に残る資料等の多岐にわたる情報収取、得た情報を鵜呑みにせず咀嚼する重要性を認識済。両勤務先を経て、徹夜や長時間の労働、不規則な勤務時間と、不定休などの環境にも打ち勝つことのできる精神、肉体、ストレスへの耐性も得ている。大学では哲学と宗教を専攻、古代インド宗教と仏教を中心に、キリスト教やイスラム教も概論で学んでおり、宗教への偏見は少ない。信仰の薄い国においても、歴史や背景も含めた文化や価値観や生活を尊重している。私生活では、20年近く一人暮らしで自炊を行い、男性にしては家事をこなす方だ。料理も好きで旅先でも市場に並んだ食材を見て創作意欲が高まることもある。希望地の一つ、エチオピアでは米調理のレパートリーを紹介可能。食生活を主に健康に留意しており、食文化や栄養学等、食の重要性を伝えることも可能。スポーツと社会人経験で身に着けた一般常識、礼儀、マナー等、日本の常識は世界の非常識を承知しつつ、貴機構のスタッフ、派遣国での同僚ボランティア、現地在留邦人の方々と接する際、子どもの指導や躾を行う際にもスムーズな行動を取ることができる。


(3)この要請に携わる際に想定されるご自身の弱点を記述してください

ものづくりの職場ではあるが、売る側の経験がないこと。第一希望のコロンビア他、一村一品運動は独学で学んでいるものの、一層の学習を要する。並びにマーケティングや販売の知識も身に付ける。訓練や派遣先で同僚や他のボランティアの方からも吸収する姿勢だ。そこでは自分だけが知識を得るのでなく、皆で共有できる財産とすべくセミナー等を催したい。時と場合により、できることは任せて、サポートとして割り振りや連携に努めるのも業務の一環。加えて開発学にも疎い為、自己学習を継続し、同上の要領で補ってゆく。一村一品の元祖も実践で学んだことが多々あったように、知識や経験がない分、既成概念にとらわれない行動がとれるのは強み。現地に合わせた適正技術を基本に、皆と足並みを揃えて、理論と実践を試行錯誤する中で、自らの考えと行動を確立させたい。


(4)自己PR(希望した職種に関係する経験以外で特筆すべき経験を記述してください)

大病、大怪我、入院の経験がなく、普段から健康管理に気を遣い、体調を崩すことも殆どない。偏食や途上国でも食べられなかったものはなく、水あたりもしない方である。渡航経験は2ヵ月半インド、ネパール、タイの3カ国を周ったのを初めに余10カ国、昨年夏にはベトナム、ラオス。海外経験が豊富な部類ではないが、無茶をしない等の危機管理も身についている。昨年の5月まで7年間程スポーツクラブに通い、中高生時代は運動部に所属、自転車で20キロ程度の距離を走ることもある。以上の経験から、人並み以上に過酷な状況への適性、体力は備わっており、大概の派遣先に適応できる。学生時代は軽音楽部に所属し、バンドでドラムを演奏していた。派遣先でも音楽を通し、文化の理解と交流に役立てたい。過去にはオフロードタイプのオートバイを所有し、運転していた時期もある。自転車、単車共にある程度のメンテナンスは行えるので、活動上必要のある要請にも対応できる。


3帰国ボランティアの体験談や報告書等で心に残るエピソードや、ご自身が実際の活動に取り入れたいと思うアイデアなどを記述して下さい

現地語でコミュニケーションが取れるまで、一年以上を要したと話す経験者も多い。私にとっても目下の課題は語学力を磨くことになる。勿論、言葉が全てではないが、生活も含めた活動の中で、重要かつ難関となるツールである。要請が決定した時点から、前もって現地語の学習に勤しむつもりである。任地では、日本料理の中で人気が高かったと云う手巻き寿司を、衛生上可能な地域であれば、参加型イベントとして披露したい。また、多々混同されることのある、中国との違いを説明しながら、正しい日本文化を伝え、アニメも含めて映画の上映会も開催したい。折り紙は、前回青少年活動の試験対策で練習をしたが、レパートリーを増やしたい。日本語も機会があれば教えたいが、現在活動中のボランティアでは個別指導がメインなので、集団指導の際には対策と準備が必要。


4実際に派遣された場合どのようなボランティア活動を行うのか活動内容、日常生活を含めて具体的に記述して下さい

お世話になる側として、謙虚に接する。住民と同じものを食べて飲んで買う等、同目線の生活により文化や価値観、気質を理解し地域に溶け込む。近隣を見て歩き観察し、住民のニーズや問題を、よそ者ならではの新たな目線で発見し、活動に取り込む。撮影に対して抵抗のない地域や人々であれば、写真によってコミュニケーションを図り、配属先等でポートレートや、写真入の身分証等を製作予定。現地の人と仲良くなるのは得意なので、業務の範囲内では関わらない層とも日常的に会話を交わし、意見を拾い上げる。地域と住民全体の活動として、多くの人が興味を持ち、参加してもらいたいので、女性や若者、高齢者も参加できる会合を頻繁に催す。内容は意見交換の場や講習や研修といった実務に関わるものから、趣味の範囲に及ぶものまで広げる。国際子どもセンターでのボランティア経験を活かし、子ども達の良き遊び相手、時には何かを教える父や兄のような存在でありたい。文化や個人を通じて日本と日本人を知り、興味を持つことをきっかけに、世界に目を向けることができる人物を育んで行く。


5帰国後、参加経験をどのように活かしたいか、記述して下さい

現地で学んだ語学の学習を継続させ、活動期間中に知り合った人達を含め、派遣国とその国の人達と関わりを続ける。初めは個人レベルからでも交流を重ね、ゆくゆくはお互いの国の架け橋となる活動につなげたい。活動の経験談や現地で撮影した写真を披露する機会を得て、ボランティア活動も含めて日本人に海外に行くこと、人と触れ合う素晴らしさを伝えて行きたい。私が協力隊に参加するにあたり、応募段階でありながらも多くの方のお世話になった。次は私が隊員の輩出に一役買うことがしたい。現職参加の可能性も残し、帰国後はコミュニケーション、企画、調整、人々のまとめや会議等、活動で得た能力や経験を職場でも発揮したい。また日本語教育能力検定試験を受験し、教える側として正しい日本語を身に着けること、国際交流と協力の入り口として役立てる。


バンビェンにて
ラオスの伝統的な巻きスカートをはいた子
リヤカーにバナナを乗せて運んでいる


職種別回答

1 派遣国の社会的文化的な特色(概観)

コロンビア共和国は、反政府ゲリラ、コカインカルテルに代表される麻薬組織、右翼準軍事組織の激しい活動により治安は深刻な状態に陥っていた。政府はゲリラに対し和平交渉を進め、カルテルを解体し、事態は一応の終焉を見せ、現在では国全体が緊張感に包まれている状況ではなくなった。しかし内戦による国内避難民、殺人や誘拐、世界一のコカ栽培とコカイン製造がゲリラ残党の資金源になる等、国が抱える問題の根本的な解決には至っていない。産業に関しては日本に対しての主力輸出品であるコーヒーを始め、切り花やバナナといった農業が主であったが、現在では石油、石炭、ニッケル、金などの鉱工業にシフトし、治安の改善により観光地としても誘客に力を入れている。ここ数年4%以上と安定した経済成長率を見せるも失業率と貧困率が高く貧富の差が激しい。公用語はスペイン語、信教の自由は保障されているが国民の90%程度がカトリックを信仰している。


2 住民との話し合いの結果、合意した活動(仮定)のテーマ

一村一品運動での、特産品と観光名所での地域の活性化。住民の仕事や郷土への誇りと愛を
根付ける。


3 活動の目的

物と観光による、まち興しと人づくり。参加団体内でも、実験的で活性化したグループを目指す。若者の参加を歓迎し、地元での雇用の創出も織り込みながら、都市への人口流出を食い止める。参加者や住民の興味、モチベーション、自信の向上、そして皆が参加しやすいプログラムを計画、実施する。住民主体の運動として継続、発展できるように、これからを担う人材を育成する土壌を開拓する。


4 活動の内容(特色やねらいを含む)

案件が既に進行中なので、同運動が軌道に乗るように骨となる部分を支え、肉付けを行う。他団体とも連絡を密にとり、会合の機会を多く設け、共存共栄の発想で同運動の底上げを図る。現在は国家レベルの運動として進められているが、地域と住民を中心にスライドできるように、住民同士の話し合いで物事を決定したり、実践の機会を多く設ける。また、様々なイベントを催し、行動力と自主自活の意識啓発につなげる。WEBで見た範囲では、当地の銀細工品のクオリティには目を見張るものがあると思う。試みとして、伝統の中に現代的要素を取り入れたデザインや包装等にアイデアを出し、製品の付加価値化を狙う。土産物だけでなく日用品も伝統技術で作る等、工房や生産者ごとの特色や差別化が見えるような工夫を行う。一方、一品集中へのリスクを回避し、町ぐるみで多くの人々が関わることができる運動にしたい為、主製品以外の商品開発や特産品、観光名所等も掘り起こす。ローカルのマーケットにも力を入、主役である住民や一般の人たちでも、手が届く価格帯で質も確保したラインも
立ち上げる。それに伴い住民に見落とされた「埋もれた銘品」を発掘するのも、外国人である我々ならではの仕事である。人材の育成として、現場と配属先の職業訓練校との連携を強化しデュアルシステム的な要素も導入する。観光やマーケティングなどのビジネスを軸に、英語やPCを総合的に学べるクラスの開講。広報誌や報告会等で、活動の進捗状況やニュースがつかめるようにして、既存のクラスでも生徒が同運動を意識しながら訓練に励めるようにする。任地の歴史地区が世界文化遺産となっているが、観光地においては、恩恵を受ける人とそうでない人の収入の格差が生ずるので、そこを是正してゆく対策を練る。これら活動の一切を視認しやすく、さかのぼって確認することができるように、過程や結果に対しての記録を確実に残す。


5 具体的な取り組み

任地のコロニアル調の町並みに合った建物を改装したアンテナショップを開設し、特産品を販売する。活動対象に挙げられている乳製品組合とも連携し、地元産の食材を使った食事やデザート、コロンビアコーヒーを愉しめるコーナーも併設。伝統料理の他、新メニューも考案する。住民も気軽に利用できるような食堂、直売所も設置する。同店に職業訓練校からの研修生を受け入れる。両店は集会所やサロンとしての役割も果たし、活動を住民同士の触れ合いの中で広げたい。商品を日本や諸外国にも紹介し、販売に繋げるルートの確保、国内の店舗への売り込みも行う。但し、良いもの=売れる、とは限らない。デザイン等細部を煮詰め価格面の折り合い等、多方面に働きかけ粘りづよい交渉をしてゆく。重箱の隅を突くようだが任地の団体と活動を紹介するページ内での製品の写真にて、若干の曲がりと余計な背景が映り込んでいるものが見られたのは残念であった。



6 活動を支えるあなたの知識や経験

品質管理の仕事を製品の向上に役立てることができる。言葉がある程度話せるようになれば、配属先の職業訓練校にて、日本のものづくりや、現場を支える品質管理、5Sや改善の紹介を行いたい。旅行会話に毛が生えた程度であるがスペイン語を勉強しており、ゼロから始めるよりはアドバンテージがある。趣味の写真を活かし、商品や学校のパンフレットや広報に使用する写真の撮影、画像処理、及びそのアシスタント的な業務が行える。


7 コミュニティ活動を一言(30字以内)で述べること

地域と人の様々な目的や幸福の為に、住民主導で協力し合う活動


ビエンチャンの少年僧
子どもたちは一度は出家の経験を積むらしい


この書類は、本当に大変だった。
「一村一品運動」や開発学などのサイトや、ロバートチェンバースの参加型開発の本を読みまくった。
第一希望にしたコロンビアの一村一品のページもくまなく目を通した。
文字数の制限があったので削れるところはギリギリまで削ったため、ところどころ文章におかしい所が見られる。
それでも、文章の一字一句まで気を配り、特に職種別の回答に時間がかかった。

また、前回指摘された年齢的なハンデをあえて露呈している。

前回も応募時から興味のあるボランティアがあったものの、応募時必要となるTOEICの受験を優先した。
今回は応募する前からボランティア活動にも参加したのでそこをかなり強調している。

しかし、針小棒大も甚だしい。
コミュニティ開発は要請が多いので、そのどれかに引っかかればとの思いで、何でもできます、何でもやりますと自分をねじ込んでいる感が見える。

さらに、現職参加もできそうになく、その気も毛頭なかったのだが、可能性もあるなどといやらしく触れている。

その一方、何を血迷ったか書類を応募した4月の時点で会社に退職の旨を伝えている。
合格する自信がかなりあったのと、どの隊次でも参加できるように早めに会社に伝えておいた。
そういうところは律儀であるが、合格するためなら何でもするつもりだった。


娘と出かけた際に撮った写真、ではなく、ビエンチャンにて
ラオスで最後に撮ったのが君で良かったよ、なんてさ
異国感が感じられないのは、ぼくの写真の欠点の一つだ


要請は150くらいあり応募者は300人程度だった。
さすがに1次は通過するだろうと思ったし、例の反対した氏も1次はおそらく合格すると言ってくれていた。
ところが、1次で不合格となった。ちなみに1次合格者は200人程度だった。

これにはショックを受けた。
最初は信じられず、不合格理由を担当の先生に尋ねようとさえ思った。
何か別の力が働いているのでは、と意味深なことを言ってくれた人もいた。

選考したのはぼくではないので本当の不合格理由はわからない。
それでも自分なりに分析してみると

できること、今まで実際経験を積んで来たことよりも、これからやりたい内容が多い。
しかも理想論で話が大きい、実現不可能に近いことも平気で言っている。
人の力よりハコもの事業感がある。

質問には何度も「具体的に」と書いてある、よほど他の受験者も漠然とした内容の書類が多いのだろうが、ぼくもその例にもれずに抽象的な部分が多い。

といったところだろうか。


「別の力」というのが実際にあるかわからないが、いざ合格し、訓練を受け、派遣された今では何となく汲んで取れるような気がする。
それは政治的とか金銭の問題でなく、前述のアドバイスをくれた方の意見が理解できる。

青年海外協力隊が、なまじっかの経験や思いでは実現できないと悟った。
だからこそ、憧れはますます強くなった。
会社に退職を撤回する気にもならなかった。

あの文章をまた作成することを思うと気が滅入りそうだったが、次回は合格、不合格にせよ最後の受験にするつもりで、協力隊浪人生活に入るのだった。