2017年10月9日月曜日

論より証拠のワークショップ

同期の隊員が身辺整理やあいさつ回りと活動を締めくくる中、ぼくはワークショップの準備や実行に終われ多忙な日々を送っていた。

ワークショップ自体は随分前から計画していた。
当初は、生産者がココナッツオイルについての説明、栄養士による健康上のメリット、調理実習とレシピ紹介の予定だった。
配属先が主体となり保健局と生産者、農家などを巻き込むはずだったが全く進展せず、開催をあきらめていた。

カカオの実を天日干し

そんな折、カカオ農家を訪問する機会があり、そこでインスパイアされたものがあった。
近所でココアパウダーが廉価で売っており、ココナッツオイルと混ぜてチョコレートができることを知った。
懇意にしているココナッツオイル生産者にチョコレート作りのワークショップを提案すると、とんとん拍子で話が進んだ。

ガーナ人の味覚に合わせるため試作と味見を繰り返し感想を尋ねた。
打ち合わせで何度も生産者のもとに通い、調理のデモンストレーションを披露し好感触を得た。
資料作り、ファシリテーター、調理と多くを担当したが、自分の思った形で進められた。

デモンストレーション兼試食会の様子
いい大人ががっついて~

開催を2回とし、参加者は近隣住民で合計25人程度と見込んだ。大規模なものを1回よりも小規模でも繰り返した方が、参加者も都合を合わせやすく、口コミ等の波及効果も大きいと云われる。第二弾はブラッシュアップしたものを提供できるとも考えた。

当日は驚いたことに30分前には多くの人が集まっており、予定の15分位前にはスタートできた。

生産者からの説明

まず、趣旨と流れについて説明、材料の紹介。
完全ローカルメイドのチョコレートを目指したが、惜しむらくは、材料の練乳が缶入りの工業製品であること、近隣でココアパウダーの加工をしている場所を見つけられなかったことだ。

湯せんしたココナッツオイルに、カカオパウダー、蜂蜜、練乳を入れて混ぜる

しずかに混ぜる

その後、調理実習と試食と続いた。チョコレートは冷蔵庫で冷やし固めるのに1時間ほどかかるので、料理番組のように事前に仕込んだものを用意した。その日作ったクリーム状のチョコレートはスプレッドよろしくパンに塗って提供した。

冷やし固める前に、柔らかい状態でパンに塗って食べる
いじめになるので顔に塗ってはいけない

ワークショップを開催しようとすると、交通費の負担、お菓子やジュースの配布で、純粋な経費と同等のコストが必要になる。
2回目の開催時、生産者の方から、リフレッシュメント(参加者に配られる飲み物や軽食)なしでやると言ってくれた。

さあお食べ
顔には塗らないように

役所主体の内容で計画を練っていた頃、リフレッシュメントを出すならばココナッツオイルやパウダーを使ったクッキーなどにするべきだと主張したが、いまいちピンと来ないようだった。開催と体面を重んじ、結果は気にしないのだろう。


冷やすとこのように固まる、食感は生チョコに近い

合計41人と予定を上回る参加者を迎えることができ、参加者の反応も上々だったが、2回目のワークショップ前日夜から停電が続き、作りおいたチョコレートが溶けたのが残念だった。
また、健康上の効能を謳っても病名など難しく、参加者の大半は理解していないようで、イラストなどを用いればわかりやすくなると思う。

当日配布したレシピ

市販品より安く作れ、添加物が少なく栄養価の高いものになると訴えても現地の人にとっては気軽に手を出せるものではない。実際に作ったりココナッツオイルの売上に反映されるより、ぼくの活動に対して人が興味を持ってもらえることを期待した。
ココナッツオイルの生産者は、次は(ココナッツオイルを原料とした)ヘアーオイルやコスメティック等のワークショップをやりたいと話した。この意見はワークショップへの手ごたえであり、お互い今後のモチベーションにつながるはずだ。

会場の準備や、頼んでいた品なども卒なくそろえてもらい、参加者にも手伝ってもらったおかげでスムーズに進行できた。

お湯を沸かすのも準備

活動の形を残すというより、ガーナ人の考えや行動を見直し、残された期間を地元の人と同じ目線で活動する意欲と自信となった。
今回の件で関わったすべての方に感謝している。

この頃は市場で売っているモノ、食材などを再発掘し、お店の人や市井の人たちと話す機会も増え日々の生活も楽しめるようになった。
そして今は任地が好きになっている。ガーナに対しては…答えを控えたいが、情に近い想いは持っている。
あと5カ月どう気持ちの変化があるか、それも一興だ。

2017年7月16日日曜日

現代の黙示録

町の中心から外れて人の往来もほとんどない元配属先の周辺に、その日は朝から多くの人たちが集まっていた。
催し物か集会かがあるのは察知できたが、同僚に尋ねると犠牲祭のようなものが行われるようだった。
確かに少し離れた場所には一頭の牛がつながれており、生贄になるであろうかわいい子牛は悲しそうな目でぼくを見ていた。
儀式は配属先とも既知の人たちとも全く関係がなかったが、興味があったので見学させてもらうことにした。

会場の設置といった準備は意外にも手際よく進められ、祈りから始まり踊りや歌、御神酒と呼ぶのが適切なのか、強力なアルコールを口に含んだりなどの前戯が行われる中、徐々に儀式めいたものを帯びるようになっていった。

ガーナ 女性 踊り ダンス Ghana lady dance
炎天下の中踊る女性、まだ序曲に過ぎない
最初の生贄は鶏だった。唐辛子を漬け込んだアルコールに鶏の頭を漬けて、動けなくなったところで首を刃物で切り、地面に投げ捨てるような荒っぽいものだったが、鶏は抵抗する間もなく絶命した。
ガーナ 生贄 犠牲 鶏 Ghana sacrifice
鶏は首筋を切られると放り投げられる

ガーナ 生贄 犠牲 鶏 Ghana sacrifice
絶命した鶏
それが終わると牛の屠殺となった。
ガーナ 生贄 犠牲  cow 牛 Ghana sacrifice
牛は押さえつけられるでなく、足の自由を奪われるなか殺される
鶏の時とは打って変わり、殺すまでの過程も幾分大掛かりだった。数人の男が牛の首や脚をつないでいるロープを引っ張り、それが余計に牛の興奮を煽った。女性陣はカウベルのような楽器を叩きながら歌っていた。その音楽の盛り上がりが最高潮に達し、鉈を一振りし暴れていた牛の首がはねられた。それはまさに映画「地獄の黙示録」のクライマックスそのもので、さすがにぼくがツルッパゲの大佐の首を落とそうという気にはならなかったが一言“Horror…”とつぶやいたかもしれない。
ガーナ 儀式 歌 Ghana  ritual song
音楽を奏で歌を歌う女性陣の興奮もMAXに達する

牛は絶命の瞬間、大きな音を発するという。それは断末魔の叫びなどではなく体内に溜まった空気が外に出て鳴き声のような音になる。というのを何かで読んだことがあったがその通りであった。

ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow
牛の首は思いのほか柔らかくあっけなく切断される。ぼくの中ではDoorsのThe Endがリフレインしていた。
牛はすぐさま、解体された。それも男たちの仕事だった。知る限りガーナでは動物の革をなめして使用する文化はなく、表面の毛を焼いた後は、革も一緒に食用にされる。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow
彼の最期の言葉もHorrorだったはずだ
意外なことに、草が真っ黒に染まるほどの血が流れ、腸からは大量の糞が出ているにもかかわらず、全く不快な臭いを感じなかった。それもそのはずで、牛は完全な菜食主義で青い草しか食べないのだから、血液も綺麗であるし糞も臭わないのだろう。糞は綺麗な緑色をしていた。むしろ痛飲した次の日のぼくのトイレのにおいの方がクサいだろう。ビールを呑んで太らせるという和牛の血や糞はそれなりに臭いのかも知れないが、ぼくのうんちの方がクサいし血もドロドロなはずだ。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
胃や腸も中身を出し食用にされる

牛は肉牛というよりはホルスタインのかなり小型でやせ細ったものだったので食用にする部分は少なかったが、女性たちの手によってその場で芋煮のように大鍋で調理された。軽く下茹でをして、血などを取り除いた後はトマトペーストと固形スープのもとで煮込まれた。その場で食べない分は切り分けられ参列者に振る舞われた。ぼくも要るかと尋ねられたが、めったに牛肉を口にする機会がない地元の人の分け前を奪ってしまう気がして初めは遠慮していた。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
驚くほど、肉の部分は少ない、ただ一般的にこの骨の周りは美味とされる部位

しかしその日は暑かった。持ってきた水は空になっていた。近くに飲み物を売っているお店はなく喉が渇いていたので、帰ったらビールを呑もうという気になっていた。そうすると牛肉の存在が気になってきた。ぼくも地元では牛肉はもとより肉類全般が高い上に美味しくないので、ほとんど食べない。だがその時は、牛肉をせしめてそれを日本流に煮込んでビールと合わせる図式が成り立っていた。非常に申し訳ない気持ちで、未調理の牛肉を頂戴し、非常に申し訳ない気持ちで場を後にした、しかも儀式の続く中の途中退場であったから余計にである。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
今回の儀式の司祭役の女性によって肉が分配される

頂いた牛肉は、圧力鍋パワーでしぐれ煮にした。あまりのおいしさにもっと分けてもらえばよかったと欲が出た。
ガーナ cooking ghana 料理
贓物も肉も革も一緒に煮込まれる、正直硬くて食べられたものではない

それにしてもあの儀式は一体、何に対しての犠牲で何に基づいたものなのだろう。ぼくの住んでいる地域住民の多くはキリスト教徒とイスラム教徒だ。しかし、あの儀式はその何れにも属さず、もっと原始的なものに所以を持つはずだ。
だからこそ、男性が狩りを行い、女性がそれを待つプリミーティブな姿がそこにあり、人が本能的なレベルで血に飢えた獣であった名残とも言えると思う。そしてそこに、キリスト教やイスラム教という外部の宗教を受け入れ信仰し、同時に西洋の文化を迎合に近い形で容認せざるを得なかった歴史と現状がありながら、譲ることのできないアフリカ人としてガーナ人としての魂があることも見せられた気がしたのだ。

ガーナ 女性 踊り ダンス Ghana lady dance
司祭は何度も着替え何度も歌い踊るのだった



2017年4月2日日曜日

活動報告書をめぐる因果

青年海外協力隊員の実際の活動を知る資料の一つに活動報告書がある。
ぼくは前任者の報告書を任地に持参し、穴が空くほど読んで、破れた。
残された活動を継続し、自分のやりたいことを加える。当時はやる気と行動力が伴えば何でもできると高をくくっていた。

蓋を開ければ、しばらくは様子見…単車が来たら…の言葉のもと1年間干された。そもそも仕事の絶対量が少なく、役不足だった。要請とのミスマッチは想定していたが、酷かった。
ghana workshop soap making lady work ガーナ ワークショップ 石鹸 女性 
石鹸づくりの講習会。仕事をしている姿は絵になるが、ガーナの女性は前屈運動並みに腰を曲げて作業をするので写真が撮りづらい
青年海外協力隊はビジネスでないので、ぼくは成功の是非に重きを置いていない。失敗続きの中、もしうまく行くことがあれば、諸方にとって御の字と思っている。一番嫌なのは何も行動を起こせないことだった。
何度か調整員に相談し、配属先に活動の提案と計画書の提出をしたが変わらなかった。配属先自体に仕事のない日が増え、とりまく状況は悪化の一路をたどっているのは明白だった。
匙を投げた。郡役所内の面識がある部署に自分をねじ込み、そこで新たに活動することにした。
地元の小零細企業などの支援をしており、元々の配属先とも無関係ではなかった。主催するワークショップに同行しながら、自らのアイデアを盛り込み、企画、開催する側に回る。残された期間でそれができれば上等と思った。
ghana workshop bead accessory making lady work ガーナ ワークショップ ビーズ アクセサリー 女性 仕事
ビーズのアクセサリー作り。個人によって熟達度、作業のスピードが違う。ぼくは手先はまあ不器用な方ではないが、細かいものが見づらくなる人体の不思議な現象に悩まされ始めているので、目がつぶれそうになるだろう。
だが、従来のワークショップはありふれた内容で、結果につながっているとは思えなかった。
年末年始にガーナ北部へ旅行に出た際、シアバター、織物や衣類、籠バッグいった特産品に感銘を受け、任地でも地場産業の確立につながることがしたくなった。
可能性の見いだせる分野にテコ入れし、それをモデルケースとし他の産業ならびに地域全体に普及させる。簡単に行くとは思わなかったが、やってみる価値はあった。
同僚に相談し、ココナッツオイルが地域の特色も打ち出せることから、その生産性と売り上げの向上を目指し活動を開始した。
前後してJICAの調整員と新旧の配属先を交えた面談が行われた。籍はそのままにし、両所で並行して活動する名目で、実質的に異動が承認された。
ghana workshop bead accessory making lady work ガーナ ワークショップ ビーズ アクセサリー 女性 仕事
出来上がりサンプル模型の出来上がりサンプル、カメラの撮影サンプルなど、サンプルほどあてにならないものはない。小さい女の子が喜びそうな気のせいだろうか。
担当の調整員とは日ごろから連絡を取っており、配属先がほぼ機能停止しているので別の機関に出入りしていることは伝えていた。
それ故の面談と思っていたが、活動報告書が立場ある方の眼に入り、身を案じてくれたことも大だった。
報告書など形式上のものと割り切っていたが、充実した活動を取り繕う気にはならなかった。目下の環境に対する不満や意見を述べたものの、愚痴っぽいかなとも思った。だが、意外なところで読んでくれている人がいて、活動にも影響するのだから言いたいことは言ってみるものだ。
ghana coconut oil lady work ガーナ  女性 仕事 ココナッツオイル
ココナッツの殻と工場で働く女性

元の配属先とは縁が切れる気がしたが、先方も懸念したのだろう、翌日、急きょ会議が催された。議題の一つは受け入れ研修生用の授業の開催で、担当を割り当てられた。それは1年前から提案し続けたが、諦めたものだった。他人を行動に駆り立てるためには、自ら思い切った行動が必要なのだろう。
ghana coconut  oil work ガーナ 男性 仕事 ココナッツオイル
なかなか凶悪なツラ構えで物騒な雰囲気充分であるが、ココナッツを圧縮してオイルを絞っているだけだ。
髄一の暇隊員を自称していたが、立場は一変した。日本にいる時は、暇が好きだった。日本の忙しいは限界を越えているが、ガーナにおいては何もないよりは多忙な位が丁度良い。
この時期になって活動に手ごたえを感じるようになったのは、ぼくが発したサインに応じてくれた人がいたおかげだ。
ghana coconut oil lady work ガーナ  女性 仕事 ココナッツオイル
バージンオイルを精製後の残りを煮詰めて、廉価なオイルを取り出す作業
少し前のぼくもそうだったように、多くの人が向けどころのない不満や憤りを感じていて、世の中はそのような届かない声であふれている。

そして、たとえ何の力になれなくても、そんな声に耳を傾けられればと思う。

2017年3月8日水曜日

青年海外協力隊の沈没船

昨年の12月から1カ月以上、首都に退避していた。大統領選挙における混乱を避ける名目だったが、選挙と年末が重なり、活動が停滞する中で悶々とするより、任地を離れて、リフレッシュしたい目的も大きかった。その間、協力隊員専用のドミトリーに寝泊まりした。

聖なるマリアよ


これまでの旅においてはドミトリーを好んで利用はしなかった。見ず知らずの人と、寝室を共にすること、持ち物や付き合いで気を使うのが煩わしかった。醸し出されるヒッピー臭や妙な上下関係と連帯感にも馴染みたくなかった。
ただ、今のぼくは、ガーナに来たばかりの隊員に対してであれば、かつて感じた拒否反応を与えるに十分な存在だと思うのだ。

ガーナ 看板 ghana signboard
看板の女性のような人はガーナでは見かけない


1月も半ば近くなると、選挙に関わる動きも終わり、仕事が元に戻る時期が来た。隊員も一人一人と任地に戻った。一方でぼくは、そこに居座り続け、なかなか腰が上がらなかった。何をするでもなく、ダラダラと時間を浪費する。いつまでも留まるわけにいかないとわかっていながら、天気が悪い、体調がすぐれないと理由を付けて出発を先延ばしにする。それを旅行者の世界では「沈没」と呼ばれる。


父なるヨセフよ

ガーナに来て以来、しばらく日本への想いが強かった、モノから解放されるにつれそれが逆転し、帰国への恐れが強くなった。現実と向き合うことを先延ばしにする。その沈没はで協力隊員にとってぬるま湯であり、社会復帰の潮時を失う脅威でもある。

奥に見えるのが、任地の海に沈没している船

沈没とは、船などが水中に沈む本来の意味の他に、酔ったり眠ったりして正体を失うこと、遊びほうけて遊郭などに泊まり込むこと、また、酔いつぶれて動けなること、と辞書にある。
ぼくは遊郭に泊まり込む甲斐性はないが、幾多の撃沈を経験していることは言うまでもない。だけどもしぶとく浮沈を繰り返している。

2016年11月29日火曜日

ガーナ学校の写真

学校訪問の記事で紹介しきれなかった写真を載せました。

ここ数カ月、写真でもたらされる満足感や出来栄えよりも、そこで生じる軋轢やストレスの方を強く感じるようになりました。カメラを持ち出す機会が激減し、とりわけ子どもの写真などほとんど撮らなくなっていました。
それでも、こういったスナップとポートレートの中間みたいな写真を撮るのは、ぼくにとって海外の原点といっても過言ではありません。そして、悪くない仕上がりになったものもあると思っています。



ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
ガーナの学校は基本的に保育所の段階から制服がある
この学校はまだ制服が行き届いておらず私服で通う生徒も多い
赤、黄、緑とガーナカラーのワンピースが似合っている

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
先生の話を聞く生徒
何かに真剣になっている子の瞳は素敵だと思う

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
文字の練習というよりは
直線や曲線の練習といったようなものだ

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
基本的に生徒の落ち着きはなく、出歩いたり、走り回ったりしている
どちらがいいとは言えないが、それは真面目に取り組んでいる子を一層輝かせて見せるのだ



ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
お遊戯の時間
合唱が可愛かった


ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
授業中に居眠りをしている子は多い
一番下の年齢のクラスでは、ウトウトしていると教室の後ろに連れていかれて寝かされる

 
ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
休み時間にお菓子を買い食いする子は多い

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
賄いの女性、生徒の給食を作っている

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
ガーナの食事は主食に一汁を合わせるのが基本
子どもが食べるにしては量が多い

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
手で食べる子と、スプーンで食べる子がいる

英語の授業
先生が言った単語を選ぶ
日本から送られた教材が使われている

ガーナ 学校 子ども 写真 Ghana  school kids picture
これも日本から送られたピアニカ
適当に吹いて鍵盤を叩いて遊んでいるだけだが、メロディを出せることが楽しいようだ






2016年11月24日木曜日

めいわくガリバー旅行記

一時帰国をした時のことだ。駅前でガーナに学校を建設する団体が募金活動をしていた。
日本に住むガーナ人の代表者の話では、学校は彼の故郷に建設中とのことだった。
純粋な興味に加えて、実態を確かめたい気持ちが生じた。ぜひ訪ねたいと話すと連絡先を教えてくれた。

早々に行くつもりであったが、躊躇しているうちに日数が経過した。
訪問の機会を喪失しつつある中、活動は一向に軌道に乗らず、配属先は煮え切らない態度だった。宙ぶらりんな立場に置かれていることにも嫌気が差していた。日に日に任地から離れたい気持ちが高まって、出発を決めた。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
近頃はカメラを持ち出すことがめっきり少なくなった。
活動の写真ばかり撮っている。
こういう写真を撮るのは久々。

学校を行き先に選んだのは約束や興味からだけではなかった。
ガーナに来る前は子どもに関わる活動、それも多くの人を巻き込んだものができればと思っていた。
だが、任地で子どもからの嘲りを受けるたび、その意気込みはついえていった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
こんな少年ばかりであれば救われるのだが…


学校が日本からの寄付で成り立っていること、スタッフと事前に連絡を取った際の丁寧な応対から、ぞんざいな扱いを受けることはないと踏んでいた。
逃亡先としてうってつけだったが、最後の砦にも等しかった。
かつて抱いていた熱が呼び起こされる期待もあったが、何もつかむことができなければ、今後の活路は見いだせないと覚悟した。そんな懸念を抱きつつ、それをはるかに上回る希望に満ちていた。



町に到着した。
辺境の片田舎を想像していたので、ぼくの任地より栄えていたのが意外だった。
それでも学校の周辺には何もなく、町から歩けるような距離ではなかった。
施設は2階部分や電気設備などが未完成だったが、算数や字の練習、お遊戯などの授業が行われていた。
先生やスタッフは快く接してくれたが、子どもたちには囲まれて手足をつかまれる、いささか手荒な歓迎を受けた。

生徒数は100人を少し上回る位で、おおよその年齢でクラス分けされていた。就学に満たない子が大半で、下は2歳から上は10歳くらいのようだった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
お互いに好奇心と興味を持って対面

数日滞在すると、子どもの性格や行動の違いが見えて来る。
これまでいかにも子供らしい子を見てきたこともあって、無表情で何に対しても興味を示さないような子の存在が不思議だった。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
気温は優に30℃を超える。
肌寒かったのか、おしゃれは我慢で暑くても着たい服をを着たかったのだろうか。

終業後、スクールバスで生徒の自宅付近まで送ってゆく。
大型のワゴン車が2台あったが一度では乗り切らず、全員を送り届けるまで学校を行き来した。

最後の便は2時間ほど待った頃に来た。ぼくもそれに同乗することにして、来るまでの間、数名を相手に折り紙を折った。他は座っている子もいれば、じゃれ合っている子もいた。生徒にとっては日課だとしても、ぼくが毎日これだけの時間を待つ立場であったら辛いだろうなと思われた。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child スクールバス school bus
バスが来てからもなかなか発車しない。
小さい子は自分で乗り込めないので、大人に手伝ってもらう上、20人以上が乗るので時間がかかるのだ。

 当初は校内のことや授業の手伝いをするつもりだったが、子どもの遊び相手が日課となった。

再訪があれば、その時に向けてのアイデアが浮かんだが、それがここでなら実現できる気がするのだ。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
バスが出発するまでのわずかな時間で勉強をする。
この子らはこの学校の中では年長の方だ。


「ドラえもん」で「めいわくガリバー」という話がある。
「ガリバー旅行記」を読んで感動したのび太が、小人の国に行くも全く歓迎されず、役に立つどころか迷惑をかけまくる。完全な空回りの挙句、逃げるように国を去る内容だ。

外国人の訪問は稀有な存在であり、子どもたちの学校生活に多少の変化を与えることができた自負はあった。
だが、行けば役に立てるという浅い思慮はのび太と変わらず、任地でも学校に行ってもめいわくガリバーだったのかもしれない。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
おさない子が多かったので、余計にガリバー感が増したのだよ。



帰る日、最後の訪問をした。
しばらく来ないこと、次に来た時、何人かの生徒は入れ替わっていることを思うと胸がつかえた。少しはペシミスティックなものになるかと淡い期待を寄せたが、子どもたちは元気にはしゃいでいた。

ガーナの子は嘘泣きも含めて本当にすぐ泣く。だが、頭をぶつけたり喧嘩をしたり怒られたりした時に泣くのであって、涙のベクトルが違った。この国で自らが望んだ結果を求めることは間違いのようだ。

これまでに異国で経験した別れを思い出してみても、子どもはみんな笑っていた。また明日も会えるかのように。
ぼくらは距離的、時間的、経済的にも、再会が簡単ではないと知るから、別れを重く受け止めるのだろう。

ガーナ 学校 子ども ghana school kids child
別れる時も笑顔!

今回、学校のみならずいろいろな場所に寄った。人とのつながりをたどってそれがルートになった。

ガーナと日本を問わず連絡を取り合い、人を紹介された。隊員の配属先にお邪魔し、案内をしてもらった。家に泊めてもらい食事をご馳走になった。学校訪問にも付き合ってくれた。その後も多くの隊員と集まった。お酒もたくさん飲んだが、中に睡眠薬を盛られて眠っているうちに縛り付けられたガリバーのようなことは起きなかった。

旅の何気ない一片を大切にしまい、時に取り出せる生き方ができればと思う。
もろもろがおざなりで無神経になっているのを自覚するだけに、それをいつも心に留めておきたい。